週末の間、友人の子供たちと遊んだ。
彼らが小さい時にはまとわりつかれても大丈夫だったが、
ぐんぐん成長してきて、年齢の割には小柄といえ、今回はもう支えきれなかった。 

昔なら、例えば肩車から落ちそうになっても体の一部さえ掴めば
地面にぶつからなかったが、
今では足をつかんだくらいではもう頭は地面に着いてしまう。
そしてもう片手ではムリ。


一緒にカヤックをしにいったのだが、十分深いところについてから
カヤックの上に立ちあがって川に飛び込んでよいと許可したら
二人とも歓喜狂乱。

事前にパドルを使って川の深さを測るところをしっかり彼らに見せて
なぜここなら飛び込んでいいかの説明。もう9歳と11歳。理解できるはず。 
私の友人(=彼らの母親。一人でカヤックできないため、夫とダブルカヤックで追従)が遠くから
「あぶないー!!たっちゃダメー」と叫んでいたが

「測ったから危なくない。Limeiがジャンプして良いって言ったもん!」
と子供たちは歓声を上げて飛び込み続け、私はbad influenceの立場をさらに固めた週末でした。




;;;;;

心配なのはわかるけど、安全を確かめたうえでの冒険って重要だと思う。
カヤックに座ったきりで、ちょっと手足を濡らして終わるよりも
揺れるカヤックで立つむずかしさや、川に飛び込んだり
川からカヤックによじ登る経験は、確実に救助できる大人が傍にいる子供時代にするべきだと思うのよね。
実際、子供たちは、横から登るよりも後ろから這い上がった方が楽、という事を自分達で発見していた。こういう体験は記憶に残ると思う。


抑圧されていた反動か、いい年してからバカなことをして死ぬ若者のニュースを聞くたびに、子供時代に経験しておけばよかったのに、と思う。

だって禁止は解決策じゃないから。
禁止されたら、いずれこっそりと、または目の届かないところでやるのが人間の性だ。

例えばイギリスで体験した話。
イギリスでは水源池に限らず殆どの湖で遊泳禁止だ。
危険だからという理由だそうだが、湖水地方に行ったときに村の子供が水死する事件に出くわした。
遊泳禁止だから、人目が届かないところで泳いでいて溺れたらしい。
”禁止されてたのになんで泳いだのかしら”と村の女性に話しかけられたが
”禁止されていたらからこそ、でしょう?”と言いたかった。

せめて一か所でも遊泳許可していれば、その子は安全な場所で水遊びしていたかもしれない。
もし溺れても、人目につく場所なら救助が間に合ったかもしれない。
どこなら泳いでも安全か、大人が教えることができたかもしれない。
泳ぎに行く、と大人に告げていれば誰かが見ていることもできたかもしれない。

子供相手に限らず、 
危ないからダメ、ではなく
どうすれば危険じゃなくなるか、を教えていくのが大切だと思う。







コメント

らむ。
2019年7月8日13:14

何でも禁止されるとやりたくなりますよね。

私も同感です。ただ、禁止するだけではなくて、なぜ禁止なのか、どうしたら、できるのかを教えたうえで許可しています。

以前、水上でキャニオニングという川のつるつるした岩のところを滑って遊んだり、岩の上から飛び降りたり、場所を確認すれば本当に楽しい!と改めて実感したことを思いました。

経験したことは、忘れないし、別の形で応用できるようになっていきますね。

私もあの事件覚えています。
なんてことをしたのだろう、と。

海の近くで育ったのだったら、そうでもなくても何らかの形で学ぶと思うのですけどね・・・。

limei
2019年7月15日15:04

らむ。さん

そうですよね。 危険から隔離するのではなく、備える事を教えるのが大人の役目かなー、と思います。

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