友人カップルが娘ちゃんとまた遊びに来た。

彼らは現在単身赴任中で、平日は奥さんは小さい村に娘ちゃんと住んでいる。
もう10年以上ほぼ専業主婦で限られた刺激しかない生活を送ってきた彼女は
残念ながら面白みが減ってきている。
にも拘わらず「洞察力にすぐれ、すべてを見通せ、助言を与えられる自分」という自己イメージを持っているのがちょっと残念。
本も読まないし運動もまったくしないので、もう共通点がほぼない。


今まで友達だったし、夫側とは死ぬまで友達だという確信がある。
よって彼女ともこのまま友情は続くと思うので、彼女と話すときは
私は聞き役に回ることにしている。


年月も人生も残酷だ。


努力して戦い続けていれば、強靭な精神と体(物理的な限界がない限り)につながる。
多少見た目に難があろうが、逆にそれすら魅力に映るようになるだろう。

逆に、流されて生きていれば撃たれ弱く、若さでカバーできた外見の魅力は
薄れていくのみ。後でそれに気づいたとしても、鍛錬をしていたなかった体は
今更負荷を受け入れられない。
20代、30代の初めなら容赦なく鍛えに掛かってきた社会も、
「まあその年でそれなら仕方ないよね」と寛容的に見放し始める。
そして手遅れのままで寿命が尽きるまで生き続けるしかないいのだ。

これが残酷じゃなくてなんだろう。



;;;;;


努力を続けよ、などとえらそうに書いておきながら
今日は廃人状態。生産性がかなり低いです。

昨日、友人の子供と力いっぱい遊んだらから今日は筋肉痛。
山スキーの方がまだ楽だ。

山スキーといえば、土曜は日帰りのちょっと短めのツアーを組んだ。
3時間くらいで終わらせて、近くの農家からソーセージとチーズを買い
パンもかって、湖のほとりで日向ぼっこしながらピクニック。

山遊びに行くと、よく近くの農家が無人ショップを開いている。
かごいっぱいにチーズやジャムやハムが置いてあって、横には貯金箱が座っているだけ。

ズルする人もたまにはいるだろうが、こうやって手作りの品が買えるシステムが機能するっていいなぁ。

去年の春には、山スキーのあとに湖で泳いだっけ。



田舎の小学生的ライフスタイル。



;;;;;;


さらなる思考。

上記の友人は私にとって面白みに欠けてきている。これが正直な気持ちだ。
でも本人も感じているはずなのだ。
だから周囲の人からrecognitionが欲しくて、「すごいね」と言ってもらいたがるのだろう。

持て余してしまうのか、それとも寄り添うのか。

離れてしまうのは簡単だ。
でもそうやって見放しちゃうほど友情は脆いものなのか。

こうやって悩むのは、他にもちょっぴりハイメンテな友人がいて
ちょっと罪悪感を感じているからだ。
最高にクールな友人らもいて、彼らばかりと仲良くするのは楽だし
面白いだろう。
でもそういう友人らは少数派。

ちょっぴり負担に感じてしまう友人らだって良い点はたくさんある。
(私にとっての)欠点が多少あるからといって簡単に離れちゃうのはどうなのか。
友情ってそう簡単に取捨選択しちゃっていいものなのか。







コメント

クロム
2019年3月10日1:17

自分でも似たようなことを思っていたのですが言語化出来ずにいたので、すごく考えさせられました。
自分の母親がそうだったし、現在自分のまわりにいる人でも似たようなことを感じます。専業主婦でも、現在はさまざまな社会との関わり方があるとは思うのですが……。難しいですね。
友情というのもまた難しい。
人と付き合っていくってなんて難しいんだろうと、この年になってつくづく思いますー。
今後の話もぜひ日記にかいてくださーい。

limei
2019年3月11日21:36

難しいですよねー。
でも私だってもっと頻繁にトレーニングや勉強できる環境にいるけど、してないわけで、自分ができてないことを他人に期待した挙句にジャッジするのも身勝手だよなぁと思ったわけです。






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